メニュー

お知らせ

【北信エリア②】長野県の「酒」と「文化」――善光寺の門前から

こんにちは!さんぽくんです。

この連載コラムでは、長野県のエリアごとに、お酒の魅力と酒屋さんの楽しみ方などを酒屋さんにインタビューし、ご紹介します!
エリアごとのお酒の歴史、観光のヒントなんかも知れちゃいます。

このコラムを読めば、酒屋さんによく人も、行ったことがない人も酒屋さんに行きたくなること間違いなしです!

今回のコラムは北信(長野)エリア「高野酒店」の高野さんにインタビューの2回目です。

お膝元で商いを150年余 人流を生む工夫さまざま

――長野市中心部の変遷などについてはどう見ていますか?

江戸時代後期から代々、善光寺さんの近くで商店を営んでいます。この店が所属する長野銀座商店街振興組合も含め、昔から代々商売をしている人は本当に数えるぐらいになってしまいました。夜間人口が非常に少ないエリアでもあるので、店はあるけれども夜は人が全くいません。

それに対して商店街の組合や個人商店ができる取り組みとしては、イベントなどを通じてお客さんに来てもらうことが第一です。せっかく長野オリンピックのレガシーであるセントラルスクエアがあるので、そこで季節に応じたイベントを開いたり。あとは4月〜11月の毎週火曜日に、野菜などの食料品を販売する野菜市も続いています。毎年ゴールデンウイークには「善光寺花回廊」もあるし、善光寺さんの催しにリンクさせるような形で活性化を図っています。

 イベントを通じて商店街への誘客を図っていますが、たとえ商売には繋がらなくても、人の流れを生んでにぎわいを出していくことはすごく大事だと思っています。

お酒を提供する飲食店の集まるエリアも大きく変わってきました。昭和から平成中期までは長野駅から北に少し離れた権堂が有名で、駅前は本当に数えるほど。でも今は完全に逆になって、駅周辺に集まっています。私も以前はお店に卸すお酒をトラックに積んで権堂のお店を10何件も配達していました。

私も店を営んで40年近くになりますが、お付き合いのあるお店はほとんど世代交代しています。自分がいい歳になってきて、お得意さんは若い世代が大半。それでも逆に若い人たちの考えを聞いたり新しい価値観に触れたりできるので、そういう点ではものすごくうれしくもあります。

――高野酒店さんの歴史などについて教えてください。

私で10何代目くらいです。正確にはわかりませんが(笑)。元々は雑貨商でしたが、曽祖父の代からアルコール類を取り扱うようになりました。昭和28年(1952年)に組合が創設され、そこが酒店としてのスタート。酒店としては4代目になります。先代の父と一緒にやるようになったのが40年ほど前で、平成5年(1993年)に父が亡くなってから私が受け継ぎました。

店内に飾られている「鰹節」の看板

店の方針を大きく変えたターニングポイントは、1998年長野オリンピックの前後。せっかく長野県にも地酒がたくさんあるから、長野県のお酒に特化したいと考えました。当時まだ長野県のお酒は知名度が低く、近くの飲食店でも置いてあるのは新潟県のお酒ばかり。それ以外にも、薄利多売の価格競争よりも地酒に目を向けたい――という思いもありました。実際に1996年ごろから長野県のお酒を取り扱うように動き始め、10年ほどかけて徐々に変えていきました。

長野県には地域ごとに酒造組合支部があります。その中から独自の取り組みをしていたり、考えが一致したりする蔵元さんと接触して、取扱させてもらうようになりました。今はほとんど県内全域の日本酒を置かせてもらっています。大変な部分もありましたけど、今となれば「やってよかった」と感じます。

インターネットでの販売は一切せず、地元の飲食店さんや一般のお客さま、観光客の方々がほとんどです。長野県のお酒に特化して25年ぐらいになりますけど、リピーターになってくれる観光客の方もいらっしゃるし、そのお客さんから口コミで聞いて来店する方もいます。ありがたいことです。

蔵元さんへ実際に訪れることを大切にしているとのこと

どの酒屋さんも、長年にわたって工夫を繰り返してきた結果、長野エリアはこれほど個性豊かなお店が揃っているのでしょうね。
種類豊富な日本酒、優しい店主…高野酒店さんのリピーターになる気持ち、わかります!

【長野エリア③】に続きます。